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「粋な黒塀見越しの松に・・・。」 ご存知、春日八郎の『お富さん』だ。 「近頃の電車の中の高校生、大声あげてギャアギャア騒ぎやがって・・・落ち着いて本も読めやしない。」 「若い子だけじゃないよ。汚い声で、あたりかまわぬ大阪のオバチャンのお喋り、まったく<見越しの松>や。」 「それナニ?」 「<前栽(せんざい)(庭先)の松ノ木で、閉口(=塀を超えてる)>だ。」 「お屋敷のお富さんも困ってるやろ。」 「<手水鉢の金魚>やな。」 「?」 「さぞ癪(=杓)にさわってるやろな、と同情しとるのや。」 「何せ最近<池の端のずいき>が多うなったさかいナ。」 「いけ図々しい?」 「その通り。お前さん、近頃洒落が分かるようになったな。ほんなら<植木屋の庭>とかけて・・・。」 「気(=木)が多い。」 和田亮介 |
同じ「粋」という字を江戸ではいきと読み、上方ではすいと呼ぶように、両者の捉え方は異なる。 前回二、三の下ネタをあげて、上方には凄い洒落があると書いたが、このことで多少困ったことがあった。 この年齢(とし)になると、古い船場のしきたりや、考え方についての話を頼まれることも多いが、話の最後には、大阪洒落言葉のいくつかを紹介することにしている。 たゞ困るのは、男だけの会場ならいゝのだが女性、しかも妙齢のご婦人が混っている時は、この下ネタは何とも喋り難いのだ。 そこで、これは不味いという句はレジメから外して、どうしても知りたい方は、あとで個人的にご質問下さいと逃げを打つ。 ニヤニヤしながら質問に来るのは大抵男性だが、たしか東京だったと思うけれども、突然、中年の女性が現れた。 「ちょっとこれは、女性に申上げるのは控えた方が…」 と後すざり、 「いえ、ご遠慮はいりません、少々のことでは驚きませんから…。さあどうぞご遠慮なく」こちらが赤くなって『嬶の褌』を説明する。 「左様でございますか、それぐらいのことでしたら、赤くおなりになるほどのことはございませんわ、よくわかりました。ごめん遊ばせ」と踝(くびす)をかえす。唖然と見送る私の顔を、想像いただきたい。 さて、その『嬶の褌』、心は左記の通り。 「ねえ大将、ここまでゞ堪忍しておくれやすな、これ以上締め上げられたら『嬶の褌』や」早くいえば、元値(コスト)に食い込むという訳である。 和田亮介 |
記録的な猛暑が続いた八月も、もうすぐ月替わりである。 ここのところのテレビ報道、この猛暑に加えて民主党の党内争い、そして日本経済を直撃する円高問題で、時間が埋まる。 一方、この猛暑と社会不安で、国民のアタマはすっかり疲れ、まさに〈八月の槍〉である。 その心は、ぼんやり(←盆・槍)。 といって、この世の中、そんなにボヤボヤしてはいられぬはず。本当は、今こそ真剣に日本の将来を〈冬の蛙〉でなければならないのだが……。 「冬の蛙?それ一体何でんねん」 「考える(←寒・蛙)や。国民の一人一人がもっと考えなあかんということや」 「それにしては、民主党の争い、チト変やおまへんか。なんで裁判受けんならん小沢はんがしゃしゃり出んならん。だれか止めたらええのに……」 「狼の睾丸(きんたま)やろな」 「何で、小沢はんが狼の……?」 「怖くて触(さわ)れん」 狼の睾丸が出たついでに申し上げるが、大阪のしゃれことばには、いわゆる下(しも)ネタが多い。 代表的なのが、おいどである。そのいくつかは紹介済みだが、おいどはこの大阪ではごく当たり前の表現だ。しかし、他の地方の人達には、意外に通じない。半世紀もこの大阪に住んできた私には、オシリやケツなどより、はるかに親しみやすい。 「近頃不景気でんな。わての財布、ほんまに唐人のおいどや。」 答えは、空っ尻(からっけつ)(←唐・おいど)。つまりは空財布。この私もご同様である。 下(しも)ネタには、もっと凄いのもある。たとえば、嬶の褌(かかあのふんどし)、猿の睾丸など。これは次回に。 和田亮介 |
日本の四季で一番鬱陶しいのが梅雨である。 「こら! お前そこで何してくさる、早よ得意先廻わりしなはれ。何? 傘がない。アホか。この位の雨がなんやね。半平太で行きなはらんか」 武市半平太、芝居では月形半平太。ご存知、幕末土佐勤皇派の頭領である。 「また大将に怒られた。この雨やさかい、せっかく内の仕事に精出してるのに、ほんま、これでは傘屋の丁稚や(骨折って怒られる)。半平太といわれれても、綺麗な女子(おなご)もおらんのに、春雨じゃ濡れて行こうと洒落も出んわ」 大阪育ちでもない私が、上方に魅せられたのは、多くの丁稚あがりの創業者に遭ったことだ。 そんな人達には、共通点が三つある。 表現力にすぐれ、共に味のある文字を書く、そして、暗算力が抜群だということである。 これは丁稚教育の基本である「読み、書き、算盤」の賜物で、特に絶妙の話術は、教材とした、いろはカルタで磨かれたものだ。 カルタは上方、尾張、江戸の三種があるが、その悉くが処世訓、人生訓である。それをしゃれ言葉に仕立たのが、これら市井の経営者というわけである。 「今日、貝塚屋はんを見かけたが、あのお人には気いつけなはれや、夏の蛤やよって…」 「…?」 「暑い夏やよって身は腐るが、貝は腐らん。(見くさって、買いくさらん)よってにな」 「いや、そのうち貝殻も腐りま」 「商いはええ先と絞ってやらんと、左枕とはいきまへんで…(左団扇と高枕)」 この左枕は和田哲の創業者和田哲夫が使ったしゃれ言葉。どんな辞書類にも出ていないが、何となく安全安心というニュアンスが伝わるから妙だ。この人物も丁稚上りの経営者であった。 「流行歌は、何といってもビクウひばり、映画俳優でええ男は上原ゴン、女優ではボク、 シンジュ三千代が一番好きやな」 美空ひばり、上原謙、新珠三千代がすんなり出てくるには、いささか時間を要した。 丁稚上りの経営者、きびしい反面、まさに人間味に溢れてはいないだろうか。人情でもって人を育てた上方商人、「人間万事金の世の中」の現代、私には、いささか魅力がうすれて見えるのである。 和田亮介 |
「船場商人はやんわりしたユーモアを忘れなかった。取り引きの場だけではなく、日常の生活の中にもこれを取り入れ、
トゲトゲしい雰囲気もよく和らげる効果があった。」
これは船場で生まれ育ち、劇作と演出で高名の故香村菊雄さんの言葉である。船場という城下町は大阪港を埋め立てて作った新開地、 周辺諸国から商人を集めた、俄かづくりの商業地である。 それだけに、それぞれに異なった気質をもつ商人達が、お互い融け合うことは並大抵ではない。そのために手っ取り早いのは、 〈笑い〉である。〈笑い〉は瞬時にして人の心を結ぶ。ところで香村さんには『定本船場ものがたり』という名著がある。船場育ちではない私は、 実はこの本で船場を知った。大恩のある一冊だと思っている。 この本に〈ことばのユーモア〉という一項があり、「黒犬のおいど」「牛のおいど」「太鼓のおいど」など、尻(おいど)づくし をはじめ三十数句のしゃれ言葉がのっているが、もともと、元禄から文化文政期につくられたものだけに、今では通じぬものも少なくない。 ただ「金槌(かなづち)の川流れ」「夏の蛤(はまぐり)」「傘屋(かさや)の丁稚」など、現代でも時折使われるものもある。 五、六年前のことだが、大阪府下の高校の校長先生の集りで船場の話をした時、話の中でしゃれ言葉のいくつかを紹介した。 その時、ある女性の校長さんから、父から聞いたしゃれ言葉として「雨降りの競馬場」が披露された。頭をかしげる私に「雨降り(=不良)の競馬場(=婆)」 が返って来た。さすがは大阪、やはり〈笑〉は生きている、と思ったものである。 近ごろの大阪、〈吉本のお笑い〉は町に溢れているが、互いの心をつなぐ、そして何よりもゆとりのある笑いが少なくなったのは、 いささか「猿のしょんべん(=木/気にかかる)」である。 和田亮介 |