日本の四季で一番鬱陶しいのが梅雨である。
「こら! お前そこで何してくさる、早よ得意先廻わりしなはれ。何? 傘がない。アホか。この位の雨がなんやね。
半平太で行きなはらんか」
武市半平太、芝居では月形半平太。ご存知、幕末土佐勤皇派の頭領である。
「また大将に怒られた。この雨やさかい、せっかく内の仕事に精出してるのに、ほんま、これでは
傘屋の丁稚や(骨折って怒られる)。半平太といわれれても、綺麗な女子(おなご)もおらんのに、春雨じゃ濡れて行こうと洒落も出んわ」
大阪育ちでもない私が、上方に魅せられたのは、多くの丁稚あがりの創業者に遭ったことだ。
そんな人達には、共通点が三つある。
表現力にすぐれ、共に味のある文字を書く、そして、暗算力が抜群だということである。
これは丁稚教育の基本である「読み、書き、算盤」の賜物で、特に絶妙の話術は、教材とした、いろはカルタで磨かれたものだ。
カルタは上方、尾張、江戸の三種があるが、その悉くが処世訓、人生訓である。それを
しゃれ言葉に仕立たのが、これら市井の経営者というわけである。
「今日、貝塚屋はんを見かけたが、あのお人には気いつけなはれや、
夏の蛤やよって…」
「…?」
「暑い夏やよって身は腐るが、貝は腐らん。(見くさって、買いくさらん)よってにな」
「いや、そのうち貝殻も腐りま」
「商いはええ先と絞ってやらんと、
左枕とはいきまへんで…(左団扇と高枕)」
この左枕は和田哲の創業者和田哲夫が使ったしゃれ言葉。どんな辞書類にも出ていないが、何となく
安全安心というニュアンスが伝わるから妙だ。この人物も丁稚上りの経営者であった。
「流行歌は、何といってもビクウひばり、映画俳優でええ男は上原ゴン、女優ではボク、 シンジュ三千代が一番好きやな」
美空ひばり、上原謙、新珠三千代がすんなり出てくるには、いささか時間を要した。
丁稚上りの経営者、きびしい反面、まさに人間味に溢れてはいないだろうか。人情でもって人を育てた上方商人、「人間万事金の世の中」の現代、私には、いささか魅力がうすれて見えるのである。
和田亮介